ここ数年、生成AIが世間を席巻している。
ほんの1年前まではあまり興味なかった。品質が低い、尻拭いをするのは結局人間だ、まだ信用できない——と、AIに仕事を奪われる恐怖を冷静な判断にすり替えていたかもしれない。
そういう態度もSonnet4.5がリリースされてから少しずつ変わり、Opus4.5が出た頃にはすっかり熱狂している一員になった。
SNSを見てても自分のような人は多く感じる(エコーチェンバー効果かもしれないが)。
最近はClaude Codeを業務/プライベート関係なくずっと使ってる、SNSでChangelogまで追っかけてしまう始末だ.
特に年末年始、温めていたアイデアを形にする絶好の機会だと思い、ClaudeのiOSアプリからClaude Codeで指示して作ってもらった。
実家や義実家で過ごす中の細切れの時間をかき集めた結果、求めていたソフトウェアがあっという間に完成してしまった。
しかも初版の動作するものは15分ほどでできた。アジャイルのノリでブラッシュアップを重ね、より手に馴染むまでに仕上げた。
まるで野球選手がグローブを自分の手に馴染ませるように、webアプリ自分の形に馴染ませていった。
“アジャイルのノリ"と書いてしまったがこれが純粋なアジャイル開発かもしれない。
ClaudeのiOSアプリではできたwebアプリを確認できないので、GitHub PagesにデプロイしてiPhoneのSafariからアクセスして動作確認を行った。
このGitHubPagesへのデプロイもClaude Codeに指示すればやってくれた。GitHubでの設定方法までご丁寧にアドバイスいただいた。
全く頭が上がらない。同僚がこんなに丁寧に対応してくれることは普通ない。もし仮にいたら感謝の念と自分の無能さに押しつぶされてしまう気がする
話を戻すと、自分はこの一連の体験に静かに高揚していた(義実家で感情を全開放するコツがわかってない)
この事実を突きつけられると、もはや自分にとってコードを書くことが重要ではなかった、と気付かされる。
コードを書く楽しさとできたモノを使う楽しさ、両輪揃って自分のソフトウェア人生が前進していると思いこんでいたが、ただの一輪車だったらしい。
こう書くと悲観的に見えてしまうが、世のソフトウェアエンジニアも同じ体験をしていくんだろうなという気がしている、というか大半の人はもう経験しているかもしれない。
自分のような受託開発のエンジニアの生存戦略はどうなっていくのか。どうなっていくかわからないが、FDEになりたい気持ちが高まっている。
FDEはフォワードデプロイドエンジニアの略で、少人数のエンジニアが顧客と最前線で向き合いながらソフトウェアを開発することだ(と思っている)。 生成AIが流行り出してから出てきた概念で、自分も最近この考え方や流れに強く共感している
正直、Claude Codeがあれば1つの機能を複数人が縦割りで開発する必要はないと思っている。これは、フロントエンドエンジニア、バックエンドエンジニア、インフラエンジニアなど専門性で分ける必要がなくなるという意味だ。生成AIによって伝達コストや伝達ミスが限りなく小さくなったことによる結果だ。
ただし決して専門性が不要だと言ってるわけではなく、専門性を発揮できる領域がドンドン狭まるはずだと思ってる。
情報の伝達コスト/誤り率を考えると、1人のエンジニアがClaude Codeを駆使して開発した方が早いし品質も良い。究極のフルスタックエンジニアだ。
もちろんこれは1機能の話なので大量の機能を持つ大規模なシステム開発ではまた違う話。
今"フォワードデプロイドエンジニア"で検索すると、日本だとLayerXなどいくつかの企業で募集されていた。
自分もこういうエンジニアになりたいと思っている。
こうやってブログで所信表明できたが、実際にFDEになるにはどうしたら良いのかわからない、、手探りでFDEを目指していくしかないのだろうか。
FDEは古くからある常駐エンジニアだと揶揄されがちだが、明確に違うと思っている。少なくとも権限が違う。顧客の指示に従うだけではなく、顧客が見えてない課題や周りの課題も掘り下げて提案していく姿勢が求められる。
フワッとした課題を掘り下げてステークホルダーを巻き込みながら解決していくのは並大抵のことではないが、そこにこそ価値があると思う。
受け身だとそれこそたちまち常駐エンジニアになってしまう気がする。
意気込んで書いてみたけど、結局のところ自分がFDEになれるかどうかはわからない。ブログで意気込みを書くだけなら誰でもできる。そしてこの記事もClaude Codeに書かせたら5分で終わったのかもしれない。
おわり🍜